
あの大横綱 貴乃花が親方を引退するそうです。
実は私は、小さい頃から相撲ファンなので、大変なショックを受けています。
今、相撲が復活人気と言っても、あの若貴フィーバーを超えるのは、おそらくこれからもムリでしょう。
その大横綱貴乃花が角界を去るのです。
その損失は計り知れません
親方と協会の確執については、(言いたいことは沢山ありますが)一旦置いておいて。
私は今回一連の騒動で、組織におけるコミュニケーションの問題が改めて浮き彫りになったと思いました。
元々、大相撲はかなり特殊なスポーツです。
試合の開始が、二人の「空気を合わせる」ことで始まるのです。
素人が相撲を取る時は、「はっけよーい!」がスタート合図ですが、本来の大相撲にはスタートの合図がありません。
立ち会いが「合った」「合わなかった」は、非常に抽象的な概念なのです。
最近は審判する行司によってのばらつきが酷く、見てて不可解な立ち会いも沢山あります。
(外国人が見て分かるんでしょうか?)
とにかく、相撲の世界では言葉が介在することなく、「空気を読む」 ということが重要なことなのです。
これは相撲界全体の美徳とされているのでしょう。
インタビューを見ても、(外国人力士以外は)相変わらず寡黙な力士が圧倒的に多いことからもわかります。
しかしこれは古来から伝わる日本人の文化なのです。
日本には「阿吽の呼吸」「以心伝心」という言葉があります。
どちらも「言葉を交わさないでも、伝わる」ことが美徳という考え方からです
アメリカの文化人類学者エドワードTホールはこのようなコミュニケーションを、「ハイコンテクスト」なコミュニケーションと呼びます
コンテクストとは、コミュニケーションの基盤である「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などのことです。
ハイコンテクストとは、伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境のことです。
日本は世界で一番ハイコンテクストなコミュニケーションスタイルだそうです。
逆に欧米ではローコンテクストなコミュニケーションスタイルと言われています。
コンテクストに依存しない、言語を中心としたコミュニケーションスタイルということです。
ハイコンテクストなスタイルは、共有の時間や体験がたっぷり必要となります。
逆にその環境が整わないと、一気にコミュニケーションが滞ってしまうのです。
この騒動は如実にそれを証明しているのではないのでしょうか。
若い世代は、コミュニケーション上手だからローコンテクストでは、と思われるかもしれません?
しかし、数年前に「KY」が若い人の流行語になったように、言葉を交わさないでも理解することが大事だという風潮は変わりません
(我々世代だと「男はだまってサッポロビール」が流行)
歴史と伝統を何よりも重んじる相撲の世界では、日本古来のハイコンテクスト文化の継承も重んじているのでしょうね。
しかし組織(それも公益財団法人!)をガバナンスするのに、「空気を読め」をコミュニケーションスタイルの基本とすると、これはムリがあると思います。
相撲界の改革は、まずローコンテクストなコミュニケーションスタイルに変えることから始まると私は思います。
ですが、識者の皆さん言うように、相撲界が変わるのには百年かかるのかも…。
皆さんの組織のコミュニケーションは、ハイコンテクストですか?ローコンテクストですか?