
私には昔から定期的に見る夢があります。
自分の住んでいる近くに核爆弾が落とされ、キノコ雲が立ち昇る夢です。
その夢が、まさかの現実として近づいてくる恐怖を感じます。
私の実祖父が特攻隊員として、沖縄で戦死しています。
そんなこともあり、普段あまり政治に関してコメントはしない主義ですが、
今回のウクライナで行われている悲劇について、少しだけ思いを書きたいと思います。
まず、拙著「おもてなしを売上に変える技術」の一部を再掲します。
ホスピタリティの語源は旧ラテン語「hostis」 。
これは元々「敵」という意味です。
ホスピタリティの起源は、紀元前の「敵の歓待」という風習から始まりました。
敵と戦わずに、お互いの異質性を認め関係性を深める。
絶対平和の技術がホスピタリティなのです。
そうすることで、血を流さず、連帯感を醸成し、異文化交流を促進させ、お互いの共同体の文化向上を図りました。
WIN-WINの関係を作ったのです。
力による報復は、更に大きな力による報復を呼びます。
これは昔から繰り返されて来たことです。
そして何が起きるかというと…。
相手へのレッテル貼りが起きます。
そして、それが正義か非正義か、右か左か
どちらかを決定し表明しないといけない空気感。
そして、お互いの考えを相容れず攻撃し、勝ち負け優劣を決定しようとします。
しかし、当然決まる訳がありません。
これが一番恐ろしいことです。
今の世界も、そんな空気になっています。
西側か東側か、今以上に大きく分断されることでしょう。
それを防ぐには…
我々市民が声を上げることです。
幸いなことに現代にはSNSはじめ、声を上げる手段があります。
私一人が発信しても砂一粒にもなりませんが、沢山の人が声を上げ、国を超えて繋がり
お互いの異質性を認め合い、柔らかく対話をすることが最も重要だと思います。
そしてそれこそが「ホスピタリティ」の本質なのです。
私がよく見る夢を現実のものにしては、絶対いけないのです。
最後に、
現代フランスのポスト構造主義の哲学者ジャック・デリダは、
ホスピタリティについて、こう述べています。
「異人は自分たちの生活を脅かす存在であると同時に
新たな可能性、新たな技術や文物、新たな血をもたらす者である。
ホスピタリティは、人類にとって普遍的な他者関係であり掟である。
現代社会における、他者関係の見直しの手掛かりとなるであろう。」