国の観光振興ビジョンから「おもてなし」の文言が消えて2年経ちました。
昨年このブログで警鐘を鳴らしたように、日本からホスピタリティを向上させようという気運はドンドン無くなっている気がします。
TVなどのメディアでも、おもてなしをネガティブな意味付けをして表現するケースが目立ちます。一種のブームの様な捉え方です。
私自身もホスピタリティでは無く、違うテーマでのオファーが増えてます。
政策から言葉自体が消えるのは正しいと思いますが、この状況は大変憂慮すべきことです。
文言が消えたのは、国の観光ビジョン構想会議メンバーでもある、デービッドアトキンソン氏の影響が大きいかと思います。
氏の主張の要旨は
①日本人独自の自分勝手なおもてなしが多過ぎる
②おもてなしはコンテンツでは無いので外国人は求めていない、だから集客に影響しないの2点です。
①に関しては全くその通りで、一番の要因は日本の(殆どの)サービス提供者にあります。
毎度このブログで言ってる様に、言葉の定義がされていない、若しくは誤った定義(=接遇マナーだったり、「心を込めたサービス」と言う曖昧な定義)が流布されていることに原因があります。
正しく定義できないことは正しい行動に移せないのです。(理解したいという方、是非御用命くださいw)
問題は②です。
氏は、世界の観光客数1番のフランスはホスピタリティが悪い、だから日本もホスピタリティは不要である。集客には影響しない、そう言う主張です。
ホスピタリティは、確かにコンテンツでは無いので新規の「集客」には影響しないでしょう。
(おもてなし、ホスピタリティをコンテンツとして謳っているところは大体インチキです)
しかし、顧客への経験価値には大きく影響します。
素晴らしい経験価値は、「生涯顧客」を創るのです。
「リピーター」が出来るのです。
逆にコンテンツだけだと、1回体験すれば満足です。
また来よう!という生涯顧客は生まれないのです。
また来よう!という生涯顧客は生まれないのです。
以前NHKの「助けてきわめびと」という番組にこんなシーンがありました。
テロの影響で観光客が激減した、パリ3つ星ホテルのベテランスタッフが、京都花街にホンモノのおもてなしの極意を習いに来ます。
しかし、自分の色(固定概念や自我)を消し、徹底的に相手の立場に立って行うおもてなしが理解できません。
しかし、自らが実際に京都のおもてなしを体験することで、感動し、ファンになってしまいます。
おもてなしは、体験しないと理解できないのです。
正しくホスピタリティを理解し、正しく行動することは日本にとって不必要なんかじゃなく、生涯顧客を生む為の最大の武器であるのです!

今シーズン初登山は、十勝岳です。
往復7時間以上掛かりましたが、北海道の大自然を体感し、パワーを貰ってきました。
しかし、3日経った今も脚が痛いですw