先日TVで、「叱られ方研修」なるものの特集が放映されていました。
上司から見た時に、好ましい叱られ方、上手に叱られるテクニックを学ぶ研修だそうです。
なんと年間200社以上からオファーがあるそうです。
受講者(新入社員)に聞くと、「遅刻して叱られてイラッとしました」「ミスして叱られて帰りたいと思いました」の声。要するに叱られた経験が少ないそうなんです。
そこで、実際に上司役に設定された人から、叱られるロールプレイングを行います。
理由は、叱られる耐性をつけることと、謝罪技術(謝罪→原因状況の説明→今後の改善策の順)の習得を行うそうです。
私は、コレを見ていて激しく違和感を感じました
このスキルを取得することで、表層的にテンプレートな謝罪をすることで、この社員は遅刻しなくなるでしょうか?
私の想像では、恐らく遅刻を繰り返すでしょう。根本解決はしないはずです。
何故なら、本人が納得していないからです。
もし叱られ方を完璧に体得したとしても、叱り方の知らない上司の下で、学んだ叱られ方の技術を使っても対応出来ないケースが出てくるかも知れません。
例えば叱り方がどんどんエスカレートしてきて、精神的に耐え切れなくなったら、本人には回復出来ない程の大きなダメージが残ることでしょう。
そういう意味では、上司の叱り方研修を行った方が良いと思います。
上司は、何故遅刻が良くないのか?本人に納得させる叱り方を行うべきなのです。
叱られ方研修だけでは無く、その場しのぎの対症療法としかならない、小手先のテクニックを偏重する傾向はあらゆる業界、あらゆるシーンで蔓延している気がします。
今、書店のビジネスコーナー行くと「◯◯術」「◯◯の仕方」「一分間○○」等、どうやったら簡単に早く効率良く上手くいくか、スキル向上のテクニックやマニュアルであふれています。
ご存知の方も多いでしょうが、「7つの習慣」で有名なコヴィー博士が、アメリカ建国200周年の時、過去200年の「成功」に関する書籍や文献を徹底的に調査しました。
すると最初の150年間は成功するために「どうありたいか=思い」が書かれている文献が多かったそうです。
しかし、残りの近代50年間は成功するために「何をするか=行動」が書かれるようになってしまったそうです。
「何をするか」は、最初に「どうありたいか」で変わります。
何か行動を起こす際、今一度「そもそも、これの目的は何だったのか?」「理想の姿は、どうあるべきなのか?」と、自問自答することをオススメします.
道北にある羽幌町、「北のにしん屋さん」という食堂の名物「羽幌丼」と「甘エビ丼」です。まさに「海の宝石箱」です。どちらも、これで1200円なのも驚きです。