フランスで、非常に痛ましい事件が起きました。
私はSNS上で、あまり政治に関してコメントはしない主義ですが、少しだけ思いを書きたいと思います。
まず、以前このブログで『ホスピタリティは「心を込めたサービス」なのか?』という記事を書きました。一部を再掲します。
『ホスピタリティの語源はラテン語「hostis」
です。
これは元々「敵」という意味です。
ホスピタリティの起源は、「敵の歓待」という風習から始まったのです。
紀元前の昔、訪れた異邦人は主人に危害を加えないことを宣言し、主人は共同体を訪れた異邦人に対し、飲食、宿泊を提供したそうなのです。
敵と戦わないで歓待する。絶対平和の戦術がホスピタリティなのです。
そうすることで、戦って血を流さず、連帯感を醸成し、異文化交流を促進させ、お互いの共同体の文化向上を図ったのです。WIN-WINの関係を作ったのです。
現代においても、サービス業、例えばホテルなども、何者か分からないお客様に対して、調和し歓待することの意味に変わりはありません。』
力による報復は、更に大きな力による報復を呼びます。
これは紀元前の昔から繰り返されて来たことです。
そして何が起きるかというと…。
レッテル貼りが起きます。そして、正義か非正義か、右か左か どちらかを決定しないといけない空気感。
そして、お互いの考えを相容れず、攻撃し勝ち負け優劣を決定しようとします。
しかし、当然決まる訳がありません。
これが一番恐ろしいと感じます。
そして日本のおいても、そんな空気になっている気がするのです。
それよりも、今こそお互いの異質性を認め合い、柔らかく対話をすることが重要だと思うのです。
そしてそれが「ホスピタリティ」の本質なのです。
最後に、ホスピタリティを解き明かした、現代フランスのポスト構造主義の哲学者ジャック・デリダは、ホスピタリティについて、こう述べています。
『異人は自分たちの生活を脅かす存在であると同時に新たな可能性、新たな技術や文物、新たな血をもたらす者である。
ホスピタリティは、人類にとって普遍的な他者関係であり「掟」である。
現代社会における、他者関係の見直しの手掛かりとなるであろう。
先日、せたな町で檜山振興局「観光おもてなしセミナー」三回目を行ってきました。
役場の方に、せたな町の見所を案内して頂きました。
絶品チーズと標高日本一の灯台、道南八景など、檜山の新たな魅力を再発見しました。
いつまでも、この風景が変わりませんように。